青春定義
夢を見た。
夢の中で俺は何故か野球部で、そんでもって更に何故かチームメイトに古泉がいて、二人でバッテリーなぞ組んでいた。
試合をしていた気がするがあまり詳しくは覚えていない。
だけどただ普通に肩を組んで笑いあっていたのだけをやけに鮮明に思い出していた。
ハルヒのむちゃな要求はいつもの事であるがそれでも連日の徹夜で体が持たず、つい授業中に惰眠を貪っていたが為に放課後の掃除も終った綺麗な教室で反省文を書かされていた悲しき俺。
しかし更に成長期真っ只中で健やかな体は睡眠を求め、反省文をやりきった瞬間にどうやら机にダイブしてしまっていたらしい。
ぼんやりした頭で職員室に反省文を提出した後、オレンジ色のアーチ、もといすっかり夕焼けを反射した廊下をゆっくり歩く。
もう少し頭を覚ましてからでなければ部活のあの―いや、団長様のテンションについていけないだろう。
否、常時でもついていけていないが。
視線を窓の外に向けると部活動だろうジャージ姿の生徒が集団で走っている。
野球部だろうか。
ああ、フラッシュバックした。
夢の景色が一瞬目の前の現実とダブって何とも言いがたい気分になる。
いつだったかハルヒに巻き込まれて野球なんぞをやったからだろうか。
だからあんな夢を見たのか。
きっとそうだろう。
夢は頭の情報の整理の為に見ると言う説を俺は推す。
願望を映すとか言うが無視だ。
却下だ。
何が悲しくて古泉と楽しく青春しなければならないのだ。
あんなに。
あんなに普通に。
「ああ、こんな所にいたんですね」
声をかけられてどきりとした。
振り向かなくとも先に声の主が誰だか解っていたからだろう。
刺の無い甘ったるい声。
独特の口調。
少なくとも俺はこんな喋り方をする人物を他に知らない。
「古泉…」
「涼宮さんに捜して来いと言われましてね」
「そりゃ、ご苦労なこって」
隣に来た古泉を取りあえず気にしない事にして窓の外を再び見やる。
集団は何処かへ走り去ってしまったが、声だけはまだ聞こえていた。
それが一層校内の静けさを引き立てていた。
やばい。
揺らぐ。
なんだこのセンチメンタルは。
畜生。
「どうかしましたか?」
「…別に」
あったかも知れない。
もしかして何かしら世界が、世界軸がずれていたなら、もしかしたらあったかも知れない。
普通の俺に、普通の古泉。
普通の日々。
そんな中にいたら、普通に友達として笑いあったりしてたのだろうか。
そうしたら、俺はもっと普通に。
お前はもっと普通に。
笑ってたのか?
「古泉っ」
「あ、はい?」
「笑え」
「はぁ」
「笑え」
「あの」
「良いから笑え」
俺の無茶振りに古泉は困った顔で口角を上げて見せた。
違う違う違う。
そんなんじゃないだろう。
「笑えよ」
「…すいません」
「謝るな」
「すいません。−出来ません」
多分貴方が望む風には。
寂しそうに笑った古泉。
何だそれは。
畜生。
ムカツク。
「キョ……え?」
その時の俺は最高にしてやったりな気分だったね。
このだらしないアホ面をきゃーきゃー言ってる女子共に見せてやりたいぐらいだ。
いつもの張り付いた笑みも何処へやら、間抜けなきょとんとした目で俺を見ている。
…まあ、相当な痛手をこっちも負った訳だがね。
「今…唇が接触したように思えたんですが…」
「説明せんで良い」
「…はは」
古泉は大人びた顔では無く、少年ぽい表情で照れ笑いを浮かべた。
なんだ、そんな顔も出来んじゃねえか。
精神的なダメージを追った代償と思ってやるよ。
「本当に、貴方には敵わないなぁ…何せあの涼宮さんが選んだ人、ですしね」
「知らん。…その団長様が呼んでるんだろ。行くぞ」
「はいっ」
凄い良い顔で笑った古泉に、俺は呆れを通り越して笑ってしまった。
もし、が意味無い事は知ってるし、この世界でなければハルヒ以外のSOS団員とは会わなかったんじゃないかと思う。
ならばこの世界はこの世界で良いのかも知れない。
―なんて考えてる辺りもう自分も相当駄目って言うか、ハルヒ辺りに言わせれば”漸くあんたもSOS団団員としての自覚が出てきたのね、亀並みの遅さだけれどまあ一応褒めてやるわよ、喜びなさい!”って感じか。
想像したら更に笑えてきて、俺は意味も無く古泉の背中を叩いて先に走り出した。
俺の意思を組んだのか古泉も後から追いかけてくるように走り出してくる。
先生に見つかったならまた反省文だろうが、その時の俺は知ったこっちゃ無かった。
階段をすっ飛ばして部室まで行く。
コンパスの差で苦戦したが何とかタッチの差で扉を開き、俺は実に爽やかな顔で踏み込んだ。
―瞬間。
あいも変わらず着替えさせられていた朝比奈さんのパーフェクトセクシーな下着姿が見えて俺はその顔のまま悲鳴と共に退場。
扉を背に、どっと疲れた気がして息を吐き出した。
「はぁー疲れた」
「はは、あなたがいきなり走り出すからじゃないですか」
「何もお前に走れなんて言ってねえよ」
「ふふ。…あーこんな必死で走ったの久しぶりですよ」
「たまには走れよ。たるむぞ」
「そうですね。緩いとは言われますが、たるむのは流石に嫌だなぁ」
「…古泉」
楽しそうに笑う古泉に、俺は何となく夢の話をした。
野球をしてて、バッテリーで。
青春してた。
そんな馬鹿らしい夢の話だ。
古泉は終始真面目な顔で俺を見て、黙って拙い言葉を聞いていた。
オレンジ色を受けて更に薄くなった髪と切れ長の目がちょっと綺麗だと思ったのは墓場まで持ってこうと思う。
「でも僕は今も十分楽しいですよ。貴方といると、本当にただの学生でいる気がします」
「…ただの学生だろ」
少なくとも今は、何の能力も無いんだろうが。
古泉はそう言う俺に微笑んだ。
―いったい何種類の笑みを持っているんだろう、こいつは。
「貴方のそんな所が好きなんですよね」
「へーへーそりゃありがとうさん」
「あれ、あんまり伝わらなかったですか?じゃあ言葉を変えましょう。僕は貴方が愛しいです」
「ぶ…っ」
丁度空気を吸い込んだ瞬間だった為に空気が盛大に口から漏れた。
いや、何も気付いていなかった訳では無いが、さすがにそんなあっさりとストレートに言われたら逆に捕らえ難いと言うかなんと言うか。
「気色悪いですか?」
「あーー…」
頼むからそんな微妙な顔すんな。
まるで俺が拒否したら世界が終ってしまうみたいな。
―そうなんだろうか。
人にはそれぞれの世界が有ると俺は思ってる。
こいつの世界の中の俺は、こいつにそんな顔をさせるぐらいの中心人物であるというのだろうか。
それは、なんと言うか。
「…お前のそのムカツク笑顔以外の顔を見るのは、悪い気しねぇけど」
「……馬鹿だな、貴方は」
「…なんだよ」
「こんな怪しげな奴の言う事何か無視すれば良いでしょうに」
「自分で言うな」
「ふふ。優しさは時に罪ですけどね」
「何…んっ」
部室の扉を一枚隔てたところには長門や朝比奈さんやハルヒがいる。
―てのに古泉は何を思ったかその胡散臭い台詞ばかりつむぐ唇を俺のそれにくっつけて来やがった。
ついでに言うとそれだけが別の意思を持っているかのような滑った舌まで入り込んできた。
俺はと言うと、まあ正直経験地はほぼ皆無だ。
そして思春期の男子の悲しき性が…素直に言おう、俺は体の力が抜けちまって抵抗するどころか声を押し殺すので精一杯だった。
決して、断じて、身を任せていた訳じゃないのであしからず―って誰に言い訳してんだか。
「んん…っ」
「は…キョン君」
どきりとする。
熱く潤んだ目がそこにあった。
キャラが違うぞ、という突っ込みをしかけて俺は言葉を飲み込んだ。
それこそが、多分、俺が望んだ事だったからだ。
もっと、こいつの本質が知りたいって―何時の間にか思ってたんだな。
やべえ、今更気付いた。
「ちょとー!あんた達いつまで油売ってるのよ!もう着替えとっくに終ってるわよー!!」
「お、おー」
ハルヒの不機嫌な声に我に返って返事を返してから、俺は口元を拭って扉のノブに手をかける。
隣には何事も無かったかのような涼しい顔で俺が扉を開くのを待っている古泉がいたから、憎らしくなって蹴飛ばしてから部室へと空間を繋げた。
ひどいな、と呟きながらいつもの定位置に行く古泉とは裏腹に俺はハルヒの元に呼び寄せられ、何してたのよと不機嫌な顔で言われる。
いつもの事だが俺だけが咎められるのはどう言う事か。
俺はため息を吐きながらもハルヒを見やり、一言呟いた。
何をやってたかって、そりゃあ。
「青春…かな」
案の定ハルヒから馬鹿じゃないの、意味わかんないと罵倒されたのは、言うまでも無いだろう。
終